こんにちは。八木裕子です。
新年度が始まり、新元号も発表されましたね。
発表当日はピンとこなかった「令和」も慣れてくると美しい響きに聞こえます。
画数少なめなのもいい!!
さて春はお別れと出会いの季節です。
今年に入ってから、寒い季節にも思いがけず、ご新規のお客様に恵まれました。
お客様以外にもフットケア関係者の方との新しい出会いに恵まれています。
(残念ながら、もうこれはないな・・・と心の中で別れを告げた方もいます。人間関係の断捨離ってやつです。)
そこで、大阪の師匠、フットエムの西守美晴さんの真似をして、
改めて自己紹介をしたいと思います。
【八木裕子】
(ま、この仕事を始める前のことなので、あまりこの呼ばれ方はもうしませんが、)
以前、かの有名な女優さんと同じ、名取裕子という名前だったことがあります。
FBの名前を変えたあたりから、お友達からは下の名前、ユウコさんと呼ばれることが多くなりました。お好きなように呼んでください。
1977年(昭和52年)6月27日生まれ
静岡生まれ静岡育ち(旧清水です。次郎長生家のある学区で10歳まで。その後、お店のある有度地区)
B型、かに座、五黄土星、巳年です。
何をとっても、いいことはあまり言われません。
B型・・・わがまま・自分勝手・毒をはくetc
かに座・・・短期・愛情あふれるように見えて、冷めたらとことん冷たい・極端・一度裏切られたら絶対に許さない
五黄土星・・・業が深い・波乱万丈etc
巳年・・・執念深いetc
6月27日生まれ・・・様々な誕生日辞典で好き勝手なこと書かれています。ご参照ください。
当たってないとは言いませんが、でも私は自分で自分のことをもっともまともで普通の人間だと思っています・・・
義理堅く、愛情あふれる優しい人間です・・・たぶん・・・
よく怒っているので誤解を招きますが、ふつうに感情をもつ人として、怒るべきことで怒っているだけです。
こんな私のことを変わり者、天然記念物に近い域とかいう方もいますが、
だいたいが私からみると、あんたには言われたくないよ!!と思えるような個性豊かな素敵な方々です♪
【家族】
両親と子供2人の5人暮らし。
子供2人はなぜか同時に生まれました。10歳の男の子と女の子です。
時々施術中に、店に現れることがあります。ご了承ください。
7年ほど前に元旦那さんには、家族の一員としての戦力外通告をいたしまして、独身です。
実家に寄生し、子育てはほぼ親任せ。
お仕事を頑張っています。
可愛さピークな時の我が子
【好きな物・人など】
食べ物:アップルパイ(ダントツ1位)・さくらんぼ(ここまでにとどめておけば女子っぽいですが)・柑橘類・ビール(ホワイトビール系またはエビス)・チーズ・スモークサーモン・アボカド・砂肝・塩辛などなどお酒と御飯が進む食材全般。
アルコールは、焼酎、ワインも大好きですが、焼酎については、飲むと意味もなく幸せになり、見るもの全てが輝き始め、記憶も飛び、次の日のメンタルに支障をきたすので、禁忌としています。
苦手な食べ物:生のネギ類・真冬のトマト・甘いお酒・ジャンクフード(特に化調入り)・グラスに入ったオレンジ色の液体(私と一緒の時はオレンジジュースマンゴージュース及びそれ系のカクテルは頼まないでほしい、見た目が嫌い。)など
好きな人:長谷部誠さん(永遠です♪)・佐々木蔵之介さん・姜尚中さん・大竹まことさん
昨年、念願叶い、ワールドカップ前の長谷部選手とお会いできました。
基本的に惚れっぽいので、実物のオーラに触れると恋に落ちますが、わりとすぐ冷めます。昨年、鈴木雅之さんの生の歌声をきいて服を脱ぎたくなりました。これは今も持続していて、来週末のライブが楽しみで仕方ない。
今のマイブームは、この前、日本平桜マラソンで優勝された、青山学院大の竹石選手の筋肉の美しさ。
蔵之介様が出演という理由でつい見てしまった不倫ドラマ、黄昏流星群は非常に面白くなくて、不倫の果てにみんながハッピーエンドっていう結末がまた不愉快。(話がそれました・・・)
その他好きなこと:プリン作り(これはもうプロ級だと思っていて、フットケアが天職だ!!と思いながら、時々プリン屋になりたいと魔が差すのです。でも、職業にせず、人様に差し上げて喜ばれるくらいのままがいいのでしょう・・・きっと。私のプリンを食べたい方は遠慮なくリクエストしてみてください。タイミングがあえば食べられるかもしれません。)
神社参拝(これはもう信仰の部類。天津祝詞ソラで言えます♪。神様がいると感じてしまうのだから仕方ない。頑張りたいことがあるときや、ちょっとメンタルがきついとき、すごく応援したい人がいるとき、などなど、神社でひたすら祈ったことはだいたい良い方向になるのです。まだ行ったことなくて、行きたい神社は宇佐神宮と出雲大社。どっちも遠いなあ。逆に変なのいると感じることもあるので、そんな神社には近づかないようにしてます。)
【現職にたどり着くまで】
もともと子供のころから爪を切るのが好きでした。切った爪をゴミ箱に捨てる時のパラパラって音がなんとも好き(⋈◍>◡<◍)
今までお付き合いした男性には爪を自分で切ることは禁止していました。爪まで切ってあげる尽くす女、というわけではないんですよ。ただの爪切り好き。
御存知の方も多いと思いますが、前職は看護師。
ちょっと歴史を話すと、19歳で准看護師になりました。(なんで19?どの方法でも計算合わない、と思うかもですが、この当時から私の人生は紆余曲折)准看護師として透析室や、介護施設で働いて、爪甲鈎彎症と出会いました。初めて見たときは衝撃的でしたが、いくらでも出会いました。もともと爪切り好きなので、ある道具で工夫して、暇さえあれば、爪切りをしてました。ま、爪の体積を少しでも減らすというレベルでしたが。なぜ、医療現場でこの爪に対処する方法を持ち合わせていないのか?当時はとても不思議でした。
そんな時、勤務先の透析のクリニックで、自分より若い看護師の授かり婚が続きます。つまり、人手不足になり、残っている人が頑張らないといけないわけですが、田舎の透析患者さんと看護師の馴れ合いの関係。お互いに好き勝手なことを言うわけです。
あなたは結婚しないの?いまブームじゃない!
4年近くお付き合いした人と別れたばかりのまだ若い私には、その言葉が刺すように痛かった!
辞めたいといった時の上司の言葉。「あの子たちが産休あけて帰ってくるまでいて。」これトドメ。へぇー帰ってきたら要らないんだあ。
どうやったらここからかっこよく逃げられるかなあ?と24歳で正看護師になるための看護学校に進学。
学費の安さと入試過去問の簡単さから都立の看護学校へ。こんな理由だから、なかなか頑張れないわけですが、1年余分に行って、何とかギリギリ卒業して、正看護師取得。
卒業後もいくつか職を転々としたあとに
29歳で国立駅前訪問看護ステーションに勤務。ここは元々糖尿病外来のクリニックに併設されたステーションで、師長さんがフットケアを重要視してました。簡易的なのでしたが、グライダーもあって、患者さんの爪を削ってあげられたんです。爪を削る道具がある!!というのを初めて知りました。
その時に、これは流行るに決まってる!!と思ったんです。
その後、結婚し、出産、育児を経て。産休育休も使い、仕事に復帰しました。フットケアができる以外にも、条件も居心地もいい職場でしたが、事情により、退職して静岡に帰ることに。
静岡のお仕事ではフットケアできなくて面白くないし、結婚生活で使い果たして、忍耐力は残ってない。
人に雇われることの限界と、そういえば、あれから何年もたっているのにフットケアが流行ってないなあ、という思い。
私が何か自営でやるなら、フットケアしかないという結論に。
開業するなら、もう一度きちんと勉強して認定資格くらい持ってないとと、2013年11月にFSIのフスフレーゲコースに。
翌年4月に訪問フットケアKanonとして開業。
よく信念があって起業、などと買いかぶって下さる方もいますが、ただの消去法人生。
とはいえ、これ以上、消去するものは残っていないので、真剣に取り組んでます。
こんな私のことをパワフル!とか自分で始めるなんてすごい!とかいう方もいますが、大きな誤解です。
基本、グウタラで動きたくない。整理整頓できない。管理能力が非常に低い。組織への適応力がない。同時に二つ以上のことができない。ナースコール同時になったらかなりキャパオーバー。
というわけで、自営業、自分のペースで、この時間はお客様と1対1という今のお仕事が、ちょうどいいのです。
こんなでだいたい、八木裕子がどんな人間か、わかっていただけたでしょうか?
余計なことも含め、長くなりました。
さて、長々とこんなブログをかけるのも暇だから。
毎年春からが繁忙期ですが、大型連休を控えた影響でしょうか?
今一つ勢いがありません。
ご予約お待ちしています!!
八木裕子でした。
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